重要有形民俗文化財としての大垣まつり軕

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※岐阜県重要有形民俗文化財の大垣まつり軕

 大垣祭は戦後、長らく9両の軕で執り行われておりました。太平洋戦争により昭和20年(1945年)7月に、神楽軕(三両軕)・大黒軕(三両軕)・相生軕(本町)・布袋軕(中町)・浦嶋軕(俵町)・松竹軕(伝馬町)・猩々軕(宮町)の7両の軕が戦火により焼失しました。その後の復興の歴史を見てみます。

【昭和22年に大垣まつりが復活】
神楽軕(三両軕)…昭和24年(1949年)に再建。
大黒軕(三両軕)…昭和24年(1949年)に再建。
松竹軕(伝馬町)…昭和28年(1953年)に久瀬川町中組が明治41年10月に造った芸軕「稲荷軕」を購入して改造。
【昭和46年9月14日に大垣祭軕全9両が県重要有形民俗文化財に指定】
【昭和54年6月15日に大垣祭朝鮮軕遺品を県重要有形民俗文化財に追加指定】
相生軕(本町)…平成8年(1996年)に再建。
猩々軕(宮町)…平成13年(2001年)に再建。
布袋軕(中町)…平成24年(2012年)に再建。
浦嶋軕(俵町)…平成24年(2012年)に再建。
【平成27年3月2日に“大垣祭の軕行事”が国重要無形民俗文化財に指定】
【平成28年12月1日に“山・鉾・屋台行事”の1つとしてユネスコ無形文化遺産に登録】

 ここで重要なことは、平成に入ってから再建された4両の軕は県重要有形民俗文化財に指定されていないという事です。古いから文化財になるなら骨董品はすべて文化財になるわけで、この辺りの区分けが実に曖昧なのです。また重文指定を受けると修理や新調するにも勝手に出来ないといった制約も出てくるようです。その最も象徴的な軕がじつは『神楽軕』なのです。
 戦前の古写真を見ても判別できるように、もともと神楽軕の勾欄は他の三両軕同様に黒の漆塗りが施されていたのです。まあ神様の軕ですので白木でも違和感はありませんが、本来の姿ではないのです。しかし重文指定を受けた時の状態が全てですから、黒の漆塗りを施せないといった矛盾が生じてしまうのです。また二体の直接棒で操る人形は現在神楽組三町内がそれぞれ所有する人形を使っておりますが、実は持ち回りの本来の人形が存在しており、その人形が重文指定なのです。しかし痛みが酷く、造りも質素であることから祭に登場する事もなくお蔵入りのままなのです。大垣まつりの象徴と言っても過言ではないこの『神楽軕』。本来の姿に復活する事が出来、持ち回りの人形も修復して本楽に出せたら良いなとつくづく思います。

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