竹島町の「榊軕」の謎!!

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※榊軕のからくり人形

 実に370年の歴史を持つ大垣まつりですが、その歴史において重要な転換期とも云える出来事がありました。今回はその中でも軕を改作しなければならなくなった出来事『神仏分離令』にまつわる謎を考察してみます。
 この神仏分離令により軕を改作しなければならなくなったのは、中町「布袋軕」→「旭軕」、竹島町「朝鮮山車」→「榊軕」です。

 中町の布袋軕の場合、首座から布袋尊を下ろして玉串の榊を飾り、布袋に従う二体の唐子も加茂明神と随身の神官に改作し、明治元年には「旭軕」と称していました。但し、明治元年の大垣まつりは、三両軕のみしか曳かれませんでした。
 竹島町の朝鮮山車は朝鮮通信使を模した仮装行列でしたから、軕の改作ではなく新調になります。明治二年に建造され、明治三年の祭礼に「榊軕」として曳山行列に加わったと伝えられています。
 榊軕の謎は、明治元年の神仏分離令からわずか二年で建造し、三年目に曳山に参加していたことです。ものすごい早業で仕上げたことになります。

【仮説その1】
 これは、先日の修理委員会の後の懇親会の席での話でしたが、竹島町の担務員長のFさんの見解ですが、軕を購入したのではという説です。確かに白木で曳いていた話は聞きませんし、彫刻や水引幕や提灯など全てを三年で仕上げることは並大抵ではありません。
【仮説その2】
 その並大抵で無い事ををやってのけた。竹島町だけが仮装行列でしたから、この頃すでに本軕の基礎が出来ており、すぐに漆金具に取り掛かり完成させたとする説。
【仮説その3】
 やはり他町の軕と同様、少しずつ完成に向けて仕上げていったとする説です。記述には、朝鮮山車の遺品である大将官人形を神仏分離令により猿田彦大神に似せて飾った(後に廃止)とあります。榊軕完成に向けての努力が見て取れます。

 現実的には、私は仮説その3が妥当ではないかと考えますが、皆さんはどう思われますか?

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